今日の福音 6.26

今日の福音(2011年6月26日)

一線を越える

(マタイによる福音書10章34節~42節)


 イエスは、平和ではなく、剣をもたらすため、敵対させるために来た、と自ら言います。「人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。」とイエスは言います。私たちにとってこの言葉は認めがたいものです。平和な、仲の良い関係にある家族が敵対し合う。しかもそれがイエスによって・・・。これは、何か、あってはならない一線を越えている状況だと、私たちは思います。「イエスによってそこまで厳しいことにならなくてもいい」「そんな状況があってはならない」、と。イエスが活動されていた当時、イエスのその明確な言葉を聞いた人々は、現在の私たち以上に厳しい言葉として受け取ったと思われます。当時は現代社会に比べて、個人主義の意識がはるかに少なく、徹底して親族帰属意識が強かったと言われています。地縁共同体、血縁共同体の中の具体的な誰かを庇護者・依存対象者として、人々はそれぞれの生活を保っていました。子は父を、娘は母を、嫁はしゅうとめを、世帯を担って働く家父長である男は雇い主である主人を、それぞれ庇護者・保護者として依存し、絶対的な肯定的な関係を保って、日々を生活していました。その、それぞれの関係には、敵対し合う関係など、あってはならないことでした。一線を越えてはならないのです。
しかし、私たちとイエスとの関係、神との関係、というものは、この地縁・血縁という範囲やワクを越え、一線を越えた、まさにその交わりを求めます。あらゆる人を受け入れ、あらゆる人を含む、キリストの教会は、この一線を越えた、血縁の家族に代わるほどの交わりを、神と共に現実のものとしてきました。イエスは家族の争いや敵対関係を奨励しているのではありません。しかし、信仰は一線を越えないところにとどまっているものではない、ということを明言します。