今日の福音 6.19

今日の福音(2011年6月19日)

「三位一体」の神

(マタイによる福音書28章16節~20節)


 神の力である聖霊が与えられていることを確信し、祝う、聖霊降臨日を迎えた翌週の今日、私達は「三位一体主日」を礼拝します。「三位一体」とは、「父」なる神と、神の独り「子」であるイエス・キリストと、神の力である「聖霊」が、一体であり、神の本質と同一であることを意味します。この三位一体であることを、聖霊降臨日を迎えた後に、もう一度確信を深めようと求めるのが今日の主日の大きな主旨です。
 この、父と子と聖霊は、神の本質と一体ですが、父なる神も、子なるイエス・キリストも、神の力である聖霊も、私達に愛をもって関わります。父と子と聖霊という、かたちやとらえ方は異なっていても、この三つは、私たちに神の愛を示し与え、私たちを神の愛の家族に招いているのです。
 教会の歴史で、「三位一体」の神学的議論がなされ、「三位一体論」が確立されてきた理由には、イエス・キリストとはどういうお方であるのか、ということを問い続けてきた「キリスト論」の発展があります。聖書には、本日の福音書の箇所のように、「父」と「子」と「聖霊」、あるいは「主イエス・キリスト」「神」「聖霊」という三つの言葉が並んで現われている箇所があり、この三つが一つであることの意味を、多くの議論と「キリスト論」の発展をとおして、「三位一体」が神学的に確立されてきました。しかしこの「三位一体」が確立されてきた歴史において、神は実は三者で一体であるという「三神論」に陥る危険性が生まれ、また神は三つのかたちをとってこそ完全な神であるとする「様態論」に陥る危険性もありました。しかし教会では、「三位一体の唯一の神、唯一である三位一体の神を礼拝する。」(アタナシオ信経)と信仰を告白してきました。「神は三つの存在の仕方をし、一つの実体である」ととらえます。神はそのようにならなければ、私達は神の愛を知ることができなかったのです。そこまでして神は私達に、愛を示そうとされるのです。
やっと自分の思いをなんとか少し語れるようになった小さな幼子が、ある時、いくつもの曲から成り立っている一つの変奏曲を聞いていました。そして、「これみんな同じ」と驚いたように言いました。変奏曲は、一つの主題をもちながらも色々な曲によって成り立っています。いくつもの変奏された曲を聞きながらも、ある一つの主題となる旋律を発見し、「これみんな同じ」と驚き、多様の中にも一致を見出し、一致にあっても多様さがある、変奏曲の美しさを、その幼子は知ったのでした。「三位一体」と変奏曲をたとえることはしたくありません。しかし、「三位一体」によって神が私達に示される愛を、私たちはもっと深く知ることが求められています。その幼子が生き生きと知ったように。
 そして私達の東京聖三一教会という名は、この「三位一体」の愛の神を証しする私達の生き方を表明しているのです。