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今日の福音(2016年2月26日)

変えられていく

マタイによる福音書第17章1節~9節












本日は大斎節前主日です。今週の水曜日から、日曜日を除いた四十日間の大斎節が始まります。大斎節はもともと、復活日に洗礼を受ける人々が準備をする期間でした。それが、教会全体として信仰を深める特別の期間へと変わっていきました。大斎節には大きく四つの柱があるといわれています。それは「祈ること」「自己を越えていくこと」「神に奉げること」「学ぶこと」です。この四つの柱を大切にしつつ、大斎節の期間中の具体的な歩みを深めていきたいものです。
この本日の主日に選ばれました福音書の箇所には、イエスが山の上で姿を変えられたことが記されています。これは「主の変容」といわれる出来事です。イエスの姿が弟子たちの目の前で変わり、イエスの顔は太陽のように輝き、イエスの服は光のように白くなりました。このことは、イエスがやがてエルサレムで十字架につけられ、死んで復活し、はっきりと神の栄光をあらわすことを、今あらかじめに予告する出来事です。大斎節において私たちは、復活日に向かって行く日々で、イエスの十字架への道、イエスの受難を思い起こします。その大斎節の期間をむかえる直前の本日の主日に、あらかじめ私たちは、栄光のイエスの決定的な姿の予告を受けるのです。
本日の福音書にある、イエスの姿が「変わる」という箇所の、その「変わる」という言葉は、原語のギリシャ語で「メタモルフォオー」という単語です。それは、「もともとの本質はそのままでありながらも、現われるかたちは全く変わる」という意味です。そして本日の聖書の箇所の「メタモルフォオー」は、受け身形の言葉で書かれており、「イエスの姿は<神によって>変えられた」という意味が強調されています。イエスはその姿を神によって変えられ、本来の栄光の姿をはっきりと示されました。
私たちも、神によって、本来のあるべき姿、本来のあるべき生き方へと、自らが変えられていくことが期待されているのではないでしょうか。私たちは皆、神に造られ、愛され、この存在がふさわしいものとされています。私たちの教会もまた、神に祝福され、支えられ、この働きが大切なものとされています。本来のこのあるべき姿に、私たちは、私たちの教会は、さらにはっきりと変えられていくように、神は意図しておられるのです。
大斎節の歩みをとおして、私たちがさらにはっきりと、神の栄光を現わす姿へと変えられていきますように、祈り求めてまいりましょう。