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今日の福音(2016年1月29日)

神にこそ頼る幸い

マタイによる福音書5章1~12節












「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」とイエスは教えます。約2000年前のイエスがおられた当時のパレスチナでは、現代の日本のように産業社会ではありませんでした。今の現代社会のように、物質的、経済的に貧しく、物が足りなければ、どんどん物を生産すればいい、というような社会ではありませんでした。ある学者は、パレスチナも含めた当時の地中海世界では、「限られた資財」という現実が覆っていた、といいます。物が全部で十あれば、富める人は八つを所有しました。あとの人は二つだけを所有します。そして富める人が十持てば、あとの人は何もないのです。ほんとうに何もないのです。聖書でいう「貧しさ」とはまさにこのことです。現代の日本のように、ある人が十全部持てば、あとの人がまた必要な物を再生産できたり、どこかから供給されたりできる、というような、そのような状況ではありません。「限られた資財」という世界観の現実の中で、「貧しい人々」は、ほんとうに何も頼るものはありませんでした。そして聖書でいう「心の貧しい人々」とは、そのまったく何もない貧しさのように、心が傷つき、悲しみ、苦しみ、希望を失っている、心を痛めている人々のことです。その人々に向けての福音を、イエスは弟子たちに教えます。「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と。その心の貧しい人々に、神は、天の国を与える、というのです。持つべきものを取り上げられ、自分が正当に持つべきものを失わさせられ、痛み、悲しみ、苦しんでいる、その心の貧しい人々に、神は、その自らの全財産である「天の国」を、「その人たちのもの」とする、というのです。それは、その人が生きる意味と根拠を回復するように、神が願い、目をとめられた結果です。だからこそ、心の貧しい人は、幸い、とイエスは宣言するのです。そして、人も神にこそ頼る幸いを知るのです。