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今日の福音(2016年4月17日)

神の言葉、神の声に生かされる

ヨハネによる福音書10章22~30節









 本日の福音書では、イエスの言った言葉を信じないユダヤ人たちと、イエスの声を聞き分ける羊という、対照的な二者が記されています。
 かつて神がモーセを通して人々に与えた掟である十戒の、第二の掟は、「あなたはいかなる像も造ってはならない。」と定められています。それは人の手で偶像を造り、その目に見えるように造り上げた像を、神として拝み、それに仕えてはならない、という戒めです。人の手で造った物を神として拝みひれ伏す虚しさと無意味さを警告している戒めでもありますが、それ以上にこの第二の掟には、神が見えるかたちではなく、「言葉」として私たちに臨在することが確認されています。神が私たちに臨在するあり方は、命の言葉として私たちを生かすのです。
 イエスの語る命の言葉を受け入れないユダヤ人たちは、イエスを神への冒瀆者として訴えたい思いのうちに、イエスの語る言葉を信じません。そして「いつまで、私たちに気をもませるのか。」と怒りと苦しみにとらわれます。「いつまで、私たちに気をもませるのか。」という彼らのこの発言は、聖書の原文では「いつまで、私たちの生命力を取り上げるのか。」という表現になっています。神は御子イエス・キリストを通して、私たち一人一人に、惜しみなく命の力を与えようとされています。その神の恵みを否定するユダヤ人たちがいました。
 一方、イエスはそのユダヤ人たちに、イエスの声を聞き分ける羊についてのたとえを語ります。羊たちは自分たちを命の草と水のありかに導く、自分たちの良い羊飼いの声を聞き分けます。なぜなら、羊たちは命を求めているからです。
命を求める者は、神の言葉、神の声を聞き分け、そのことを通して生かされようと願うのです。そう願いなさい、とイエスは私たちに語りかけます。