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今日の福音(2016年3月20日)

正しい人が十字架にかけられる出来事

ルカによる福音書23章1~49節










 本日の「受難の主日」では、ルカ伝によるイエスの受難の物語を読みます。この箇所で、イエスは何も悪いことをしておらず、罪も犯しておらず、正しい人であったにもかかわらず、イエスは十字架にかけられるという死刑に定められた、ということを強く知らされます。裁判を行うピラトは何度もイエスの無罪を語り、罪を犯したバラバの身代わりにイエスが十字架にかけられることになり、共に十字架にかけられた犯罪人がイエスの無罪を語り、イエスが十字架の上で息を引き取った時に兵士の百人隊長がイエスについて「本当に、この人は正しい人だった」と言います。正しい人であるイエスが十字架にかけられて殺された、という出来事を、今日読まれる福音書では何度も強調して記されています。
これほどまでに明確に正しい人であったイエスが、十字架刑という最も厳しい死刑の方法で殺されなければならなかった理由は何だったのでしょうか。この出来事に正当な理由などありません。むしろこの出来事には、正しい人を十字架にかけるという、矛盾、不正、不合理、悪、はかりがたい人間の罪というものがはっきりと明らかにされています。そして、これらの矛盾や不正、悪や人間のはかりがたい罪、というものがまかり通ることは、この今に生きる私たちには無関係なことでしょうか。イエスは、私たちすべての人間が犯しうる、はかりがたいすべての罪を、その身に一身に担って、すべての人を救うという神のご計画を実現されたのです。