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今日の福音(2016年3月13日)

それでも、どこまでも

ルカによる福音書20章9~19節










来主日はイエス・キリストの受難と死を見つめ、福音書で読む、「受難の主日」、復活前主日です。その直前の主日として、私たちは本日の福音書で、イエスご自身が自らの受難と死について語られた、イエスのたとえ話を読みます。これは「悪い農夫たちのたとえ」として知られています。
このたとえ話は、ぶどう園の主人を神、農夫たちをイスラエルの民、僕たちを預言者、ぶどう園の主人の息子をイエス、と想定して読まれることは明らかです。イエスがこのたとえ話を語られた当時のイスラエルでは、ぶどう園の主人は作ったぶどう園を農夫たちに貸し、収穫の時期に収益の三分の一から四分の一をぶどう園の主人が受け取ることになっていました。しかし三年以上にわたって主人と農夫たちとの間の関係が途絶え、それが何のトラブルにもなっていないことが証明できれば、そのぶどう園は農夫たちの所有になることが法律で決まっていました。今日のこのたとえ話にでてくる悪い農夫たちは、ぶどう園を自分たちのものにしようとして、次々に主人から遣わされてくる僕たちを拒み、虐待し、主人との関係を途絶えさせようとしました。しかし遣わされてきた僕たちの向こう側に主人がいる、ということを悪い農夫たちは問題にしていません。これは神との間にむすばれた愛と恵みの契約に立ち返るようにと悟らせるために、絶えず神から遣わされた預言者たちを、イスラエルの民が拒み、迫害し続けてきた事実を表しています。イスラエルの民は、預言者たちの向こう側に神がおられる、ということを見失っていました。
しかし、そのような悪い農夫たちに対して、ぶどう園の主人は、それでも、本来の関係を回復しようと願い、自らの「愛する息子」を遣わします。神は、どこまでも私たちが神との愛と恵みの本来の関係に回復することを願い、イエスを私たちにお遣わしになったのです。