今日の福音 8.12

今日の福音(2012年8月12日)

命をパンとして差し出す

(ヨハネによる福音書6章37~51節)



 「わたしは天から降って来たパンである」とイエスはユダヤ人たちに言いました。しかしユダヤ人たちは、そう言ったイエスに、つぶやき始め、反感をもち始めます。ユダヤ人たちにとって、「天から降って来たパン」とは、自分たちの先祖がかつて荒野で飢えていた時に、神が天から与えた食べ物である、「マナ」を意味しました。そのマナによってかつてのユダヤ人たちは命をつなぎ、生きていくことができました。ですから、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」とユダヤ人たちに言った時、ユダヤ人たちは、「自分たちはイエスがいなければ生きていけないのか」「イエスは自分たちに命を与えるために神から遣わされた者なのか」とはっきりと知らされ、日頃からイエスを見下し、宗教的に優越感をもっているユダヤ人たちは、イエスに反感をもち始めたのです。
 そのユダヤ人たちに対して、イエスは言います。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。」と。命のパンであるイエス、私たちに命を与えて生かして下さるイエスに、私たちが引き寄せられ、出会わせて下さるのは、父なる神です。神は、私たち一人一人が決して失われ、滅びることがなく、永遠の命を得るようにと、イエスのもとに私たちを引き寄せて下さっているのです。
 神が私たちを導き、イエスのもとに強く引き寄せ、イエスと出会わせて下さいます。しかし、イエスを信じ、受け入れるという、最終的な決定的な信仰の出来事は、イエスに引き寄せられ、イエスと出会った、私たち一人一人の決断にかかっているのです。イエスは「わたしは命のパンである。」と言います。食べるほどにイエスを信じ、受け入れることを、私たちは求められています。なぜなら、イエスは私たちのために、自らの命をパンとして、私たちに差し出して下さったのですから。