今日の福音(2012年4月8日)
「復活」= 私たちが変えられる出来事
(マルコによる福音書16章1~8節)
フランスのコルマールにある病院の礼拝堂には、1513年から1515年にかけてグリューネバルトの描いた祭壇画がある。それは十字架にかけられたイエスの絵と、太陽を背景にして宙に浮く復活したイエスの絵である。その絵の十字架にかけられたイエスの姿は、ペストを患って死んだ病人の姿そのものである。それは、その病院に収容されたペスト患者の苦しみをはじめ、すべての人の痛みや苦しみや悩みや、また悪意や罪を、すべて引き受けられたイエスを表している。一方、復活の絵に描かれているイエスは、同じ画家が描いたとは思えないほど、命と光に満ち溢れた姿である。この受難と復活の祭壇画の差は、衝撃的である。しかしこの衝撃的な違いは、神によってなされた、復活という、「変えられた」出来事の力の表れである。
私たちは一昨日に、十字架につけられて苦しんで死に、墓に葬られた、受難のイエスを見つめた。しかし今日、私たちは、イエスがよみがえられ復活された出来事を祝う。一昨日と今日の、こんなにも違う現実。この明らかな違いは、あのコルマールの二つの祭壇画の衝撃的な違いと同じく、神によってなされた、復活という、「変えられた」出来事の力の表れである。
朝早く、イエスの遺体に香油を塗るためにイエスが葬られた墓に行った女性たちは、イエスが復活したことを知る。それは墓から逃げ去り、震え上がり、正気を失い、恐ろしくてだれにも何も言えないほどの、衝撃的な出来事だった。それは、死んだイエスに関わる女性たちが、生きているイエスにこれから出会っていく者へと「変えられた」出来事である。
弟子たちやペトロはイエスが十字架につけられる時、イエスを見捨てて逃げ去った。イエスは十字架につけられて死んだ。もうイエスとの関わりは終わった、と彼らは思った。しかし空になったイエスの墓で、イエスの復活を女性たちに知らせた、神の使いは、女性たちにイエスの復活を弟子たちやペトロに知らせるように指示する。また新たにイエスと生き始めていくように、イエスの復活によって、弟子たちやペトロは「変えられた」。
死者から生きる者へ変わったイエスの復活の出来事は、私たちが「変えられる」出来事である。復活の恵みによって変えられた私たちは、主イエスと共に生きていこう。