今日の福音(2012年2月26日)
イエスの示される力
(マルコによる福音書1章9~13節)
イエスはヨハネによる洗礼によって、神の霊と神の声を受けます。それはイエスが神の働きをする者としてふさわしい者とされたことです。しかしイエスは、その洗礼の出来事と、これから公に宣教をしていく出来事の間に、荒野での悪魔からの誘惑を受けられます。荒野は、危険で、孤独で、自分の無力を知らされる所です。そこでは、悪魔に従うか神に従うか、厳しくはっきりと二者択一が問われます。その荒野でイエスが受けられた誘惑は、かつてイスラエルの民が陥ってしまったものでした。イエスはその誘惑を自ら乗り越えることによって、イスラエルの民をはじめ、すべての人を救う、救い主としての自らの使命を確かなものとしました。かつてイスラエルの民が陥った誘惑は、イエスが荒野で受けた誘惑そのものでした。誘惑は三つありました。一つは、神の言葉なしで自分たちは生きていけるという誘惑です。次は、神を自分のために試して利用するという誘惑です。そして、自分の満足のために神以外のものに服従するという誘惑です。イエスはこれらの誘惑を乗り越えられました。
イエスが悪魔の三つの誘惑をそれぞれ乗り越える時、イエスは神がかつてイスラエルの民に語った神の言葉を用いて、誘惑に立ち向かいます。神の「み言葉」そのものが、悪魔の誘惑に対抗できるのです。さらに誘惑に対抗する姿勢があります。それは、神に全くの「信頼」をおく、ということです。本日のマルコ伝によるそのイエスの誘惑の箇所では、「野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」と記されています。イエスは誘惑の間、神の使いである天使たちと共におられました。そこには、イエスの神に対する全くの信頼の姿が現われています。
神の「み言葉」と神への全き「信頼」が、歩み進む私たち、神の宣教を担う私たちの、力なのです。