今日の福音(2012年1月22日)
「従う」という力
(マルコによる福音書1章14~20節)
本日の福音書では、シモン(後のペテロ)とアンデレ、ヤコブとヨハネという、漁師の兄弟たちがイエスの弟子となった記事を読みます。
イエスと行動を共にした12人の弟子たちは特に「使徒」と呼ばれますが、この12人の弟子たちのもともとの職業や生い立ちや生き方は、多様でした。イエスに従って弟子となる前のこの12人は、本日の福音書にもある通り、ある者たちは漁師であったり、また収税人、またある者は政治結社のメンバーでもありました。その彼ら12人は、それぞれイエスに出会い、イエスに従って共に歩む、ということがなければ、お互いに決して一緒になることはあり得ないことでした。
イエスはその弟子となる一人一人を「御覧になり」、私に従いなさいと「お呼び」になります。呼ばれた一人一人がそれぞれ「イエスに従って」、弟子となります。イエスは使徒と呼ばれる弟子となった12人ばかりでなく、その他の人たちにも同じように、「御覧になり」「お呼び」になったと思います。しかしこの12人が、使徒と呼ばれる弟子となってイエスに従っていきました。
イエスは、何か能力のある人、才能のある人、秀でた力のある人を見ぬいて、私に従いなさいと声をかけたのでしょうか。イエスは、その人のどんな力を期待して弟子になるように声をかけたのでしょうか。
イエスに呼ばれて弟子となったこの12人たちに共通している一つの行動の姿があります。それはイエスに呼ばれて、「従う」、という行動を起こしていることです。イエスは、何かの能力や優秀な才能や秀でた力を持っている人に、それらの力を期待し、求めて、弟子となるように声をかけているのではありません。そうではなく、その人の、ひたすらイエスに「従う」という、その力を求めて、イエスは招いておられるのです。
「私について来なさい」、とイエスは、私たち一人一人を招いておられます。私たちはその呼びかけを受け入れ、その呼びかけに応えることができます。なぜなら、「従うという力」をすべての私たちは持っているからです。