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今日の福音(2016年6月12日)

「愛」を基準とする

ルカによる福音書7章36~50節














 本日の福音書では、ファリサイ派のシモンの家で食事をしているイエスのところへ罪深い女が近寄って来て、できる限りの愛の関わりをした状況が記されています。しかしイエスを食事に招いたシモンは、この女がイエスに関わっていることも、イエスがこの女に触れられていることも、よしとはしませんでした。なぜならこの女は罪深い者だったからです。シモンは「罪」を、人をとらえる基準としていました。シモンには、「なぜ」この女がイエスにそのように関わっているのか、と考える心はありませんでした。しかし、イエスはこの罪深い女が「なぜ」このようにできる限りの愛を自分に示したのか、ということをとらえていました。この女は、イエスこそが自分の罪を赦し、自分の罪の重荷を取り去って下さる方であることを知っていたのでした。だからこそ、その大きな、できる限りの愛の関わりをイエスに行ったのでした。イエスは、彼女のその「なぜ」を見ておられるのです。それは、「愛」を、人をとらえる基準としていることです。